長野県言語障害通級指導教室(ことばの教室)の沿革

1  全国 難聴学級、言語治療教室とことばの教室の歩み
 大正15年、東京聾唖学校に難聴学級が開設された。公立学校における難聴学級は、昭和9年に東京都小石川区礫川小学校に開設され、昭和28年に東京市に6学級設置された。
昭和35年には愛知県碧南市立新川小学校に、昭和36年に岡山県岡山市内山下小学校に難聴特殊学級が設置される。昭和37年には、東京都5区6校に難聴学級が開設され、以後全国に広がっていく。

 昭和34年に仙台市立通町小学校、昭和35年に千葉市立院内小学校にそれぞれ開設 され、以後言語障害特殊学級の開設は全国に広がっていった。
 対象となる子どもの数が増加するにしたがって、子どもの状態像が、それまでの構音障害のある子どもだけでなく、言語発達の遅れとして分類される子どもの数も増加していく。対象となる子どもの状態像の変化は、言語障害特殊学級の指導が、これまでの言語治療的な考え方から、発達を支援する考え方へと転換していく契機となったと思われる。こうした中、「言語治療教室」と呼ばれていた言語障害特殊学級は、「ことばの教室」と呼ばれることが多くなっていく。 

2 長野県のきこえ・ことばの教室の歩み
 
 他県の例にもれず、本県の難聴・言語障害児学級は、ことばの障害をもつ児童の父母の自分の子どもを何とかしたいという強い願いを受けて誕生した。こうした願いを、行政も議会もいち早く受け止めて、教室が開設されてきたことも確かである。以下に言語障害児をもつ親の会の初代の会長となられた角田宗道氏のことばで当時を振り返ってみたい。

発足当時のこと                   角田宗道
 昭和38年頃、わが子が言語障害児ではないかと診断されて愕然とした。ほっておけばいずれ成長するにつれて治るのではないかと考えていた。しかし、内心の心配はつのるばかりであった。
 昭和40年3月、朝日新聞に、千葉市院内小学校言語治療教室の記事があり、内容は、・どもり・発音異常・口蓋裂など、ことばが普通に話せない子どもは凡そ100人に5人の割りであり、全国では幼児から18歳までの青少年のうち約170万人は何らかの言語障害をもっており、その治療教室は極めて少なく、正しい治療教育を受けている子どもは1万人にすぎない。
・院内学級では、第6回の卒業式を迎え、43人の卒業生は皆普通の子と同じ様に話せるようになった。
・言語障害は、幼児のうちに訓練すれば1年足らずで全治する。
というものであった。驚きと喜びで希望が開けた。
 幸いに知人の紹介もあり、千葉院内小学校に面接の了解を得た。そこで、担当主任の大熊喜代松先生に出会った。わが子は、週1回ずつの通級で、約半年間で全治した。卒業式の感激は今も忘れることができない。
 その時、大熊先生は「角田さん。長野県に是非親の会を作って下さい。全国では、20近い親の会もできて、教室もあちらこちらにできています。教育県といわれる長野県も、この面では遅れています。」と言われた。私は、親の会の結成を心に深く誓った。
 さっそく、信州大学医学部耳鼻咽頭科教室鈴木篤郎教授のご助力を得て障害児をもつ親たちに通知し、新聞紙上でも呼び掛けた。
 41年1月末日結成準備会。ただちに2月県議会開催前に県に申請書を出し、紹介議員をお願いして陳情し、4月24日松本にて結成大会を開いた。
 当初、余りにも強引な請願や陳情で県当事者にご迷惑をかけた面もあったが、これも1日も早く治療教室を、その前に治療をして下さる先生の養成を、という親の熱意の表れであった。
 その結果、41年からの内地留学の先生の派遣が裁決され、42年4月県内に初めての治療教室が2つ同時に開かれた。(養護学校内に設置)。さらに一般公立学校に治療教室の設置をと運動を重ね、お聞きすれば今日41学級25校に設置されておるとのこと、関係各位のご協力に心から感謝する次第である。


さらに、親の会会報により、地域の学校に言語治療教室が誕生するまでの経過を見てみよう。

○41, 7,17  県教委の発表がある。42,4より言語障害児学級2学級を設置するという内容。

○42,12,28  県に陳情する。要旨は、
          ・言語障害児のための特殊学級の設置と、施設・設備の財政的措置について          

    ・内地留学職員の増員について
          ・3歳児検診の際、ことばの検査を実施し、県内の実態を把握してほしい

昭42,  4, 1  県内に初めての言語治療教室が開かれる。
      1、諏訪養護学校 飯田ふくい先生 2、長野養護学校 井出邦彦先生
            いずれも養護学校内に開かれたため、先生方は学校内で手一杯であり、一般幼 

    児・児童のための学級設置が急務であることを知らされる。
            県内のこの日を待っていた会員に通知して、とにかく学級設置を喜ぶと共に、

    せめて週1回の相談日を両学校にお願いする。
            両校に相談を希望するもの多数あり。

昭42,  9,28  県に陳情をする。要旨は、
            ・言語治療教室の増設、その施設設備の財政的措置について
            ・内地留学教員の増員について
            ・3歳児ことばの検査について
            ・親の会運営の補助金について

昭43,  4,1   伊那養護学校に治療教室開設。これで県内に3学級の治療教室が開設され

     た。しかし、いずれも養護学校内であるため、一般のための通級制の学級が

     望まれる。

昭43,11,30   県に陳情する。要旨は、
            ・普通学校への治療教室の設置
            ・専門の教員の養成・内地留学教員の増員
            ・3歳児ことばの検査について

昭44,12,14 NHK言語障害児をもつ親の集い「ことばの治療教室」と公開録画相談

     会開催。相談会申し込み者60名、総員130名。

昭45,  2,21  県に陳情する。公立学校への言語治療教室の開催を強く要望した。
             長野市立山王小学校に、45年度より治療教室を開設するとの朗報が入る。


昭45, 4, 1  長野市立山王小学校ことばの教室に喜多尾正先生就任。15名指導。

 

   昭和45年の山王小学校への設置以来、昭和62年までに、25の小中学校

  (その他、長野養護学校に1学級)25校41学級に難言学級が設置されている。
   25の小中学校とは、山王小、上松小、源池小、上田北小、伊那小、城南小、神 

   明小、浜井場小、三輪小、須坂小、中野小、通明小、塩尻西小、柳町中、永明

   小、下諏訪南小 美南ガ丘小、大町西小、吉田小、赤穂東小、飯山小、上田南

   小、穂高北小、川中島小、富士見小のことである。
   昭和45年から62年までの間、年々ことばの教室が増えていった。

昭和62年(1987年)「全国難聴・言語障害教育研究協議会」(略称:全難 

   言協)の全国大会が、松本市で開催され、これが初回の「全難言協長野大会」で

   ある。
   その時の大会の主催は、県特連であった。
   当時の県難言の研修組織は、発足当初の「自主的勉強会」的な組織の継続であっ

   たが、
   発足から10年余りが経過し、設置校数や会員数が大幅に増加したため、「自主  

   勉強会」的な組織では立ち行かない面が見え始めた。

平成4年(1992年)に「通級学級に関する調査研究協力者会議」の審議のまとめ

  「通級による指導に関する充実方策」が公表され、平成5年の「学校教育法施行規

   則」の一部改正によって、通級制、通級方式の指導が、「通級による指導」とし

   て明確に位置付くことになる。「通級による指導」の制度の仕組みは、学校教育

   法施行規則により、小学校、中学校等の通常の学級に在籍する障害のある児童生

   徒にかかる特別の教育課程の編成として規定されている。

平成22年(2010年)23年ぶり、2度目の「全難言協長野大会」が長野市で開か

   れ、県特連が共催であった。全国から432名の関係者が集まった。
   その時に、大会実行委員会を母体として「長野県特別支援教育研究連盟 難聴・ 

   言語障害教育部会」(略称:県特連難言部会)という組織が設立された。

平成23年「県特連難言部会」で「基礎研修会」とともに、「構音」「吃音」「言語発

   達」「検査」「難聴」など個々の会員のニーズに応じて専門研修を行うテーマ別 

   研修が発足した。

 

   ※参考文献 「きこえとことば 研修テキスト 第2版」
                              全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会
            「難聴・言語障害児学級 経営の手引き」昭和62年10月発行
               長野県難聴・言語障害児学級設置校長会
                              長野県難聴・言語障害児学級 担当者会
      「平成25年度 研究集録」
               長野県特別支援教育研究連盟
                      難聴・言語障害教育部会